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古田隆彦著 日本はなぜ縮んでゆくのか 情報センター出版局 |
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【この本の12の読み所】
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【各紙書評】
毎日新聞 朝刊(1999年08月04日) 【新刊】ビジネス 日本はなぜ縮んでゆくのか=古田隆彦・著 長期的な人口推移に潜む増減の波=「人口波動」の視点で日本を予測する。2004年をピークに人口減の進むこの国に継続的な景気の回復・成長はもはやあり得ない。日本はやがて歴史上の飽和・凝縮期に移行する。トフラーもベルも描けなかった未来像である。バブル絶頂期に平成経済の低迷を冷静に看破していた著者(理論人口学者)の警告は鋭く怖い。(情報センター出版局・1600円) 毎日新聞 朝刊(1999年08月29日) 【新刊】日本はなぜ縮んでゆくのか 古田隆彦・著(情報センター出版局・1600円) 環境、文明、社会、経済の諸要素と人口の相関を総合的にとらえる「理論人口学」という新しい研究があるようだ。著者はその新分野を切り開いている。 世界の人口は増え続ける一方のように見えるが、じつは大きな増加と停滞や減少の波動を繰り返しているという。日本にも五つの波動があったと聞くとビックリするが、石器前波、石器後波、農業前波、農業後波、工業現波の五つである。農業後波の終期は一七三〇〜一八三〇年で人口は減った。 やがて日本の人口は減少に向かうが驚くことはなく、それが歴史の必然のようだ。これからの人口減少は正常な現象であり、それで国が滅ぶと叫ぶのは大間違いであると、著者は断言する。 一つの人口波動には六つの時期があって、いまは終わりの下降期だが、内向から熟成に向かう時であるとする。その上で、日本の未来を展望するのだが、凝縮社会こそ先進国の望ましい姿と覚悟を決めて、「モノ」から「コト」に比重を移して、新たな公共性に向けて努力すべきと説く。(規) 週刊東洋経済・ブックレビュー(1999,10,2) 『日本はなぜ縮んでゆくのか--人口波動で読む21世紀のイメージ』 古田隆彦著・情報センター出版局・1600円 ゼロ成長前提に“21世紀型”先進国を 「人口が減少すれば、国家もまた衰退する」という見方は正しいようにみえる。しかし著者は「これはほとんど根拠のないドクサ(誤った意見)にすぎない」とみる。なぜなら「世界の歴史をちよっと振り返ってみれば、人口が減少しても、経済が栄えたり、政治が安定し続けた国々はいくつも見つかる」からである。 日本の場合、元禄期--享保初期は農業技術がほぼ限界に達したため人ロは減少に向かい、それまでの成長・拡大型社会が飽和・凝縮型社会へと切り替わっていた。しかし人々の生活はより高度になっていつた。 同様に現在の日本も、「人口容量を支える基本的な条件に、環境問題、技術停滞、貿易摩擦などでさまざまな制約が増加している」ため、近代日本の人口容量をひたすら拡大させてきた加工貿易文明が、徐々に限界に近づきつつある」が、日本は決して衰退するのではなく、「江戸中期に匹敵する、近代文化の爛熟期になるであろう」というのが著者の基本的な見方だ。 二一世紀の地球社会にとって最大の課題は、人口・資源・環境のトリレンマの克服である。となれば、二一世紀の先進国とは、野放図な成長・拡大を続ける国ではなく、大量生産・大量消費・大量廃棄を前提とする生産・生活様式を止揚して、少量生産・少量消費・少量廃棄を軸とする生産・生活様式を率先して作り出す“凝縮国家”ということになる。 この競争に加われるのは、北欧三国、英・仏、東欧・中欧・南欧、そして日本だけである。二〇五〇年頃まで人口増加を続けるアメリカ、カナダ、中国には、二一世紀のリーダーになる資格はない。 北欧三国、イギリスは二〇年前から人口停滞社会に突入していた。そのため衰退国家のように見えたが、実際にはさまざまな工夫をして、新しい生活様式や新しい国家経営の方向を作り出し、新たな成熟国系をめざしている。 日本のめざす方向もこれであるという。日本の経済学者の多くは、長引く不況を克服するためとか、個人消費を回復させるためとかいって、大型の公共投資、大型減税などを主張している。だが「これらの政策で景気が回復することはまずありえない」。 なぜなら、「この不況の本当の理由は、日本の社会全体が、総人口の停滞・減少に伴って、これまでの成長・拡大型から、飽和・凝縮型へ移行しつつあるという事実にある」からである。どうあがいてもゼロ成長が常態化するのは避けられない。 人口を増やせという主張もあるが、日本を含む先進国では、文化的人口抑制装置(妊娠抑制、出産抑制、結婚抑制、生活圧迫、家族縮小、家族・子供の価値の低下、都市化、社会的退廃化、戦乱)や生理的人口抑制装置(体力低下、寿命限界、生殖能力低下、胎児・乳幼児の生存能力低下)が機能するため、政策的に何かをやっても、、永続的な効果はない。無駄なことをせず、またいたずらに「亡国」の危機感を抱くことなく、人口減を前提とした“凝縮国家”をめざせというわけである。 著者はこれを、石器時代以来の人口の長い歴史、人口波動の分析から解き明かしていく。興味深いのは、「人類は進歩しない」という指摘だ。 「最近の考古学的発掘の多くが物語るように、弥生社会が縄文社会より優れていたとは決して断言できない」。石器時代の人たちもその社会を最上のものと考えていたはずである。「人類は人口増加の圧力によって、自然環境に対する文明的対応を繰り返しているにすぎない」という。他にも示唆に富む指摘が多く、刺激的な本だ。 (須賀) 時評---「ポスト90年代」を想う(『Works No.38 リーダーシップの視界』2000年2月発行・掲載) |
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