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井筒俊彦著『意識の形而上学─「大乗起信論」の哲学』中央公論社(1993年6月28日)
仏教用語を明快に説き明かす 現代社会研究所所長 古田隆彦
東洋哲学と言えば、中国古代の老荘の思想や儒学系の倫理哲学を思い浮かべるビジネスマンが多いだろう。
が、 それらはほんの一部であって、むしろ本流はイスラム、インド、中国、日本などの古典に対する共通する「ものの見方」、つまり東洋的な世界観である。 こうした広義の「東洋哲学全体に通底する共時論的構造の把握――それが現代に生きる我々にとってどんな意義を持つものであるか」という問題意識から、古代の思想に現代的な生命を吹き込む仕事を精力的にしてきたのが、本書の著者、井筒俊彦氏だ。
井筒氏はイスラム哲学の第一人者と して国内では高名だった。海外でも世界の賢人が集まるエラノス会議に仏教学者の鈴木大拙氏の後任として招かれ、東西哲学を統合できる思想家の一人と見られてきた。
その井筒氏がライフワークとして取り組んだ『東洋哲学覚書』シリーズの第1巻が本書である。6世紀に書かれた仏教哲学屈指の名著『大乗起信論』 を材料にして、「切実な現代思想の要請に応じつつ、古典的テクストの示唆する哲学的思惟(しい)の可能性を、創造的、かつ未来志向的、に読み解き展開」させたものだ。
本書ではまず存在の本質を問う「真如」が解説され、それが意識の展開であるとする「唯心論」が紹介され、最後にその実践として「覚者(ブッダ)」への道が説かれる。この過程で、 空と不空、覚と不覚と本覚、アラヤ識、薫習(くんじゅう)、輪廻(りんね) 転生などの仏教用語が現代思想の用 語によって明快に説き明かされていく。
こう書くと、「こころ」志向の強い東洋思想が展開されているようだが、決してそうではない。むしろ、そこに浮かび上がってくるのは、洋の東西を越えた哲学的心理だ。言い換えれば、大乗仏教の教えだけでなく、ポストモダン以降の西欧思想も同時に理解できる構成になっている。
考えてみれば国際政治から経済や文化まで、我が国に今求められているのは、西欧のものまねを越えた、独創的な思想や世界観である。そのためには、東洋の世界観や我が国のアイデンティティーを再確認し、世界に向かって発信することが必要だろう。
その意味で、本書の果たす役割は限りなく大きい。東洋の伝統を現代社会に生かす道が示されているうえ、欧米の人たちにも理解できる言葉で書かれているからだ。
本書に続いて、このシリーズでは、 唯識哲学、華厳、天台、真言、イスラムの照明哲学、プラトニズム、老・荘・儒教が展開される予定だった。が、著者の急逝により、本書がその遺書となった。せめてもう1冊、「唯識哲学」 だけでも書かれていたらと思うのは、 評者一人ではあるまい。
村上泰亮著『反古典の政治経済学(上・下)』中央公論社(1992年12月21・28日)
未来への対応、大きなスケールで 現代社会研究所所長 古田隆彦
国際的には冷戦の終結や地球環境問題の深刻化、国内的にはバブル経済の崩壊や政治の腐敗など、日本を取り巻く諸環境は大きな転換期にさしかかっている。こうした時代に、私たちはどのような未来を予測し、どのように対応していけばいいのか。
この難題に対し、『産業社会の病理』 (第8回吉野作造賞)、『現代日本経済 の解明』 (共著・1980年日経経済図書文化賞)などで独創的な思索を展開してきた経済学者の著者は、上下2巻、 延べ900ページを超える大著で答えた。
テーマは多岐にわたっているにもかかわらず、「全体としての一貫性」が強く意識されている点でも、筆者のライフワークと呼ぶべき著作であろう。
第一の特徴は、やはりスケールの大きさだ。思想や理解という基本概念の検討に始まり、自由、平等の再構築を経て、古典的な政治・経済概念の再検討に及ぶ。さらには技術、経済、産業化、 通商国家、議会制度、民主主義といった国内体制や、ナショナリズム、 国際的覇権、開発主義、国際経済などの世界システムにまで広がっていく。
第二の特徴は、世の中を理解しよう とする人間の態度を二つに大別し、両者の対立こそ社会を動かすダイナミズムとみている点だ。その一つは思想や理論を前提にして世の中をみる「超越 論的反省」、もう一つは社会の実態や歴史から経験的に世の中を理解しよう とする「解釈学的反省」である。 もっとも、こうした二分法は、西欧の現代思想から東洋の唯識論にまで共通する視点で、「垂直的体験と水平的体験」 (哲学者の井筒俊彦氏)などと呼ばれるものだ。しかし、本書の読みごたえは、この対立を、産業主義対反産業主義、ナショナリズム対インターナショナリズム、自由対平等といった 現実的な事象にまで適用していくところにある。
第三の特徴は、「古典」的な政治経済学を一定の条件の下でしか成り立たない理論体系だと批判し、これに代えて、技術革新や起業動機といった変化の要素を重視する理論を提起した点だ。 この視点もまた、現代の社会科学全般の課題である「できあがったものを分析する科学」から「生まれつつあるものを把握する科学」への転換に対応したものだが、本書は経済学の立場からの一つの答えを見事に提出している。
以上の分析によって、最終的に筆者が示す21世紀への対応は、反産業主義、環境主義、資源有限論などの「超越論的」な一元論に陥ることなく、真の意味での自由主義的な世界秩序を目 指して、さまざまな予測の中から相対的に望ましい道を見いだすという「解釈学的」な方向だという。
この提案に賛成であれ反対であれ、 21世紀に関心を持つ人々にとって、 本書は間違いなく必読書であろう。
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