書店経営関連論文・記事・・・『日販通信』(日本出版販売株式会社)連載
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現代社会研究所  RESEARCH INSTITUTE FOR CONTEMPORARY SOCIETY
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消費社会ウオッチング⑥:〝新〟御用聞きが伸びている
(現代社会研究所所長・古田隆彦)

牛乳配達から新・御用聞きへ

御用聞きが復活しています。昔ながらの牛乳配達も、このところ一変して、最先端の流通サービスに進化してきました。
明治乳業は、全国に二五五万世帯を超える固定客を持っていますが、今春からスイス製の高級チョコレート、ロースハムやベーコンの朝食セット、明治ブルガリアヨーグルト入りのレトルトカレーなどを、牛乳とともに無料で宅配しています。
森永乳業も約一八〇万世帯の顧客を持ち、牛乳と一緒に豆腐、サプリメント、家庭用防災セットなどを配達しています。今春からは、精米したての米六合を一リットルサイズの牛乳パックに入れて、保冷箱へ納入するサービスも始めました。また要望に応じて、高齢者の安否確認や人間ドックへの紹介なども、無料で行なっています。
雪印メグミルクは、全国農業協同組合連合会と連携して、関西地域で野菜の加工食品などの配達や、地元のスーパーと連携した買い物代行を実施し、一部の販売店では高齢者の安否確認も請け負っています。
牛乳配達の市場規模は一〇〇〇億円を超えていますが、最近では人口減少などの影響で微減しています。だが、この事業の歴史は古く、明治乳業や森永乳業の顧客数は、ネットスーパー最大手、イトーヨーカ堂の会員約八二万世帯を大きく上回っています。
顧客の中心は中高年や親子世帯で、一人暮らしの高齢者も多いのですが、ほぼ毎日訪問する販売員であれば、商品説明や安否確認などきめ細かなサービスが可能です。インターネットに不慣れな層でも、口頭で商品を注文できますし、配送料も不要です。
各社は今、競って品揃えやサービスを強化していますから、消費者の利便度はますます上がります。これはもう「新・御用聞き」とでもいうべき、新しい流通経路の誕生です。

新たな流通経路を開拓する
牛乳配達に留まらず、流通業やサービス業でも、新・御用聞きへ進出しています。
関東から関西に出店するスギ薬局。医師の処方箋による薬を直接、薬剤師が患者宅へ届けて飲み方などを指導していますが、〇二年から紙おむつや介護食などの注文も受け、次回に届けるサービスも行っています。
東京や大阪周辺で家事代行サービスを展開するベアーズ。今春から顧客向けに、洗剤やシャンプー、ミネラルウオーターなどの消耗品をスタッフがチェックしたうえで、容器に詰め替えたり、米、調味料、トイレットペーパーなども補充する購入・補充代行サービスを行なっています。
一五年も前から「究極の御用聞き」を実践しているのが、東京・町田市の電気店「でんかのヤマグチ」。一九九六年から、従来の顧客を三分の一に絞って、家族構成、購入履歴、趣味などの情報をデータ化し、社員全員で共有したうえで、各世帯に三倍のサービスをめざしました。一三人の外販営業員は、商品の配達に加えて、電球一個の交換、録画の予約、営業車による駅への送迎、簡単な水回り修理、部屋の模様替えの手伝いなど、できることは何でも引き受けて高額購買層を保持し、大手量販店の攻勢を見事にかわしています。
新・御用聞きが伸びる背景には、いうまでもなく高齢世帯や単身世帯の増加があります。だが、それだけではありません。消費市場が飽和する中で、供給側にも新たな流通経路を開拓できるという利点があります。不特定多数への大量販売だけでなく、「顔なじみ客」への安定販売を拡大して、営業戦略の幅を広げていくことが可能になります。

書店はどう応用すべきか
こうした戦略は、書店経営に応用できないものでしょうか。福岡・佐賀県に展開する積文館書店のように大手書店では、従来から外商という形で御用聞きを行なっていますが、中小書店では経費や人手の点で難しいようです。しかし、「顔なじみ客」の増加であれば、中小書店でも検討の余地があります。
例えば大阪市北区のカペラ書店。売り上げの大半が外商ですが、店員三人が取引先へこまめに顔を出し、雑誌の配達とともに書籍の注文も受けています。顔なじみになった顧客には関心のありそうな本を薦め、優れた出版企画が出ると手書きチラシを配布、売りたい良本は推薦理由を書いた手紙を手渡すなど、積極的に御用聞きを活用しています。
東京都渋谷区のJスタイルブックス。原宿駅からやや離れていますが、周辺に建築家やデザイナーなどクリエーターが多いため、建築、インテリア、美術、デザイン、ファッションなどを中心に新刊書や雑誌を揃えています。この店では、カウンターの側においた椅子で会話を交わし、顔なじみとなった客に向けて、お薦め本や注文本を配達しています。
こうした先例を見ると、中小書店でも新・御用聞きはかなり有効な戦略になりそうです。高齢者や要介護者、あるいはネット難民などはもとより、購買力の高い固定客や発注量の多い読書家などを獲得できるからです。
今後は、書店の性格や規模に見合った、新たな御用聞き手法を検討すべきでしょう。
(「日販通信」2011年9月号)

消費社会ウオッチング⑤:思索・学習サークルはなぜ伸びる?
(現代社会研究所所長・古田隆彦)

各地に広がる哲学カフェ

大震災の影響か、全国各地の「哲学カフェ」で、新しい生き方やこれからの暮らしを語り合う、活発な議論が広がっています。一時は休止していた東北地方の都市でも、ようやく再開の動きが出てきました。
哲学カフェというのは、一九九〇年代の初め、パリのカフェで始まった思索サークル。アカデミックな哲学論争ではなく、一般市民の目線で身近な問題や社会的なテーマを話し合う、サロン活動です。参加者は、年齢や職業を超えて対等に話し合う。他人の意見をよく聞いて、自分の意見を押しつけない。哲学用語や専門語をできるだけ使わない…などを基本ルールとしています。
二〇〇〇年以降、日本にも導入され、関西では「カフェフィロ」や「実験哲学カフェ」が、関東では「未来共創塾・哲学カフェ」や「関東実験哲学カフェ」などが、それぞれ活動を開始しました。
さらに札幌市の「人文学カフェ」、仙台市の「仙台哲学カフェ」、福島市の「てつがくカフェ@ふくしま」、九州の「哲学カフェ・佐世保・長崎」や「鹿児島哲学カフェ」など、今では列島を縦断しています。
二〇~三〇代が比較的多く、どちらかといえば若者のサークルですが、名曲喫茶「新宿らんぶる」で毎月開かれる、仏教学者主宰の「哲学カフェ」には、若者から中高年まで、年齢を超えた参加者が集まっています。

雑学大学は中高年層へ
出社前に出席する「早朝勉強会」も急増しています。職業能力向上や起業家向けの集会が多く、大半はビジネスパーソンや経営者などが主宰するものですが、企業が開催する勉強会もあります。
投資関連企業のUBI㈱が新宿で隔週開催している「早朝勉強会」では、不動産や金融関連の知識・情報収集とネットワーク作りを進めています。また事業再生をてがけるグローバルタスクフォース㈱が、表参道で月一回開いている「パワーブレックファーストミーティング」では、経済や経営関連のテーマを取り上げています。
ビジネス分野に限らず、さまざまな書物を語り合う読書会も増えています。首都圏のカフェでほぼ毎日開かれている「読書朝食会リーディング・ラボ」では、学生から中高年までの「本好き」が自薦の本を紹介し、互いに語り合うことで、「人生をより豊かにする読書コミュニティー」をめざしています。
一方、中高年が中心となって運営しているのが「雑学大学」です。三〇数年前、武蔵野市の音楽家や大学教授らが設立した「吉祥寺村立雑学大学」は、社会人が互いに講師と生徒になって勉強する私塾ですが、授業料・講師料・会場費をかけない「三タダ制」をモットーに、毎週日曜日に開催されています。
これをモデルにして、二〇〇〇年以降、関東では神田、小金井、昭島、北区、藤沢、町田、西東京など、関西では「けいはんな市民雑学大学」、名古屋では「ESD21雑学大学」、山口県では「たぶせ雑学大学」など、全国に広がっています。
雑学大学の特徴は、哲学カフェや早朝勉強会に比べて、年齢層がかなり高いことと、趣味、旅行、自分史など、日常的なテーマが多いことです。

思索・学習サークルと連動する
学生や社会人が中心となった思索・学習サークルが新たに生れたり、勢いを盛り返してきた背景には、何があるのでしょうか。
一つの理由は、一九九〇年代以降、社会・経済の停滞感が強まる中で、生き方や働き方に迷いを感じた二〇~三〇代が、不安の共有や交流の拡大を求めて、思索的なコミュニティーを求め始めたことです。
一方、長寿化の進行で八五~九〇歳の人生が当たり前になった中高年層も、暮らしや人生の目標を強く意識して、知力や身体の鍛錬、創造力や発想力の練磨、信仰や修行などへの関心を、急速に拡大させています。
さらに、いずれの世代にも共通するのは、社会の無縁化や人間関係の希薄化が進む中で、他人と語り合って新たな絆や縁を築こうという願望が、徐々に強まっていることです。
こうした社会動向は、知的欲求や情報願望の増加と連動しますから、うまくとらえれば、書店の経営にもプラスになるはずです。
例えば、札幌市のくすみ書店の「ソクラテスのカフェ」や、鳥取市の定有堂書店の「読む会」のように、書店そのものが「哲学カフェ」や読書会を主催したり、さいたま市の書楽や熊本市の長崎書店のように、書店が会場を提供して、読書会や講演会を開催するなど、先行的な試みが幾つか実施されています。
この延長線上で、書店とサークルが積極的にタイアップして、幼児や母親、学生や社会人などを組織化し、さまざまな勉強会を実施できれば、固定客を確保し、顧客層を広げられる可能性が高まってきます。
地域文化の向上をめざしつつ、経営の安定を図ることができれば、書店にとっては二重のメリットになるでしょう。
(「日販通信」2011年8月号)

消費社会ウオッチング④:商業〝構造〟主義のすすめ
(現代社会研究所所長・古田隆彦)

生き延びる家族経営店

シャッター通り化する商店街が多い中で、いきいきと商いを続ける店舗が、幾つか見うけられます。
例えば、東京・高輪台にあるMという小さな八百屋。周辺五〇〇メートル圏に大手のスーパーマーケットが数店ひしめく激戦地ですが、多数の固定客をつかみ、夕方にはいつも混み合っています。
繁盛の理由は、大手流通業のまったく裏をかく戦略です。家族経営の利点を活かして、毎朝全員で青果市場へ出向き、その日の安くて新鮮な掘り出し物を探し出します。直ちに持ち帰って、鮮度を強調した盛り付けで、店頭に並べます。
さらに全員が店頭に出て、「本日のお勧め品」を料理のレシピを交えながら、お客さんに勧めます。こうした顧客対応で、会話を交わせる客層が広がり、半キロを超える商圏を築くことに成功しています。
もう一つの例は、東京・戸越銀座にあるUという魚屋。創業七〇年を越す老舗ですが、家族八人で営業しています。この店の売り物も毎朝、築地から仕入れる、新鮮な魚類です。アジ、サバ、イワシなどの丸物は一匹ずつ販売し、マグロの刺身も各種揃えて、いずれも大型店よりずっと安い値で売っています。
これらを〝江戸っ子〟特有のイキのいい接客態度で売りますから、毎週土曜日には、一〇〇〇円のバイキング刺身を求めて、地元はもとより、電車を乗り継いで来る顧客が一〇〇人以上並びます。
二つの事例に共通しているのは、仕入れ、接客、固定客作りなどで、大規模店舗では真似のできない営業方式を採っていることです。大手流通業が、システムとネットワークで販路を拡大しているとすれば、これらの店は細々と手間をかけた仕入れ方式と濃密な人間関係、いわばストラクチャーとスポットで対抗しています。「システム」的な経営戦略に、真っ向から対抗する、「ストラクチャー」的な経営手法といえるでしょう。

システムから〝構造〟へ
システムとストラクチャーでは、何が違うのでしょうか。
少し難しい話になりますが、現代言語学の父、F・ド・ソシュールは、システムが全体を点と線で把握するのに対し、ストラクチャー(構造)は分割された面で把握する、といっています(『一般言語学講義』)。
図を見てください。丸い円が全体とすると、システムは点と線で大まかにつかみます。これに対し、ストラクチャーは、面を細かく仕切って全部を把握します。
このため、巨大な対象を全体としてつかむには、システムが適していますが、すべての対象をとりこぼさず把握するには、ストラクチャーのほうが有効です。システムが漏らした領域を、ストラクチャーはそっくりつかみとることができるからです。
こうした発想は、思想上ではいわゆる「構造主義」とよばれるもので、哲学から生物学まで、さまざまな分野に応用されています。だが、学問や思想という次元を超えて、個人商店や商店街の経営に対しても、新たなビジネス手法として有効だ、と思います。

〝商い〟の原点を見直す
近年、個人商店や商店街が衰退したのは、今さらいうまでもなく、大手流通企業の展開する大規模小売店舗に顧客を奪われたからです。これらの大規模店舗の集客力は、一方では一カ所で何でも買えるワンストップ・ショッピング、他方では大量かつ同一規格の商品を廉価に調達できる、全国的な仕入れシステムやネットワークに基づいています。
個人商店や商店街がこれに対抗していくには、単にアーケードやポイントカードといった競合手段だけでは不可能です。むしろ、大規模店舗網の欠点を突くような、本質的な対抗策が必要です。
それが何かといえば、比較的狭い商圏を対象にして、伝統的な個人・家族経営のノウハウを徹底的に活用することでしょう。永続的な顧客を作る対面販売、きめ細かな仕入れ方式、濃密な人間関係など、大手流通業が切り捨てた〝商い〟の原点を見直すことです。
こうした戦略を採れば、システムという鋭い網が、最大公約数を満たすために意図的に捨て去った需要の残部を、〝構造〟という鈍重な容器によって、ざっくりとつかみとることができます。
小さな書店こそ、商業〝構造〟主義を積極的に導入されてはいかがでしょうか。
(「日販通信」2011年7月号)

消費社会ウオッチング③:〝増子・中年化〟市場への発想転換
(現代社会研究所所長・古田隆彦)

人口減少社会というと、「少子・高齢化」という言葉が浮かんできます。だが、別の表現をすれば、「少産・長寿化」社会です。出産数が減り、寿命が延びる社会という意味です。

人生の区切りが変わる
寿命が延びれば、人生の区切りも変わります。これまでは、〇~六歳を「幼年」、七~一四歳を「少年」、一五~二九歳を「青年」、三〇~六四歳を「中年」、六五歳以上を「老年」とよぶのが一般的でした。この年齢区分は、平均寿命が七〇歳前後であった、一九六〇年ころの人生観に基づいています。
ところが、二〇〇九年、日本人の平均寿命は女性八六・四歳、男性七九・六歳に達しました。平均寿命は〇歳児の平均余命ですから、六五歳の人であれば、女性は八九歳、男性は八四歳まで生き延びます。つまり、「人生九〇歳」時代がすでに始まっているのです。
そうなると、過去の区分はもはや通用しません。寿命が一・二~一・三倍延びたのですから、上方にシフトさせて、〇~九歳を「幼年」、一〇~二四歳を「少年」、二五~四四歳を「青年」、四五~七四歳を「中年」、七五歳以上を「老年」とよんだほうが適切です。
一見、奇異に感じるかもしれませんが、子どもや老人の定義は、時代とともに変るものです。現に日本でも、一九三八~四五年の国家総動員法の下では一二歳未満が子どもでした。また一九六〇年の国勢調査までは、六〇歳以上が老齢者だったのです。
そう考えれば、新たな区分はすでに通用しています。最近の若者たちを見ると、一七歳の高校生はもとより二四歳のフリーターやニートたちも、その意識は少年のままです。毎年、成人式に出席した若者にアンケートすると、その七~八割が「まだ大人にはなっていない」と答えているのです(㈱オーネット、新成人意識調査)。
青年会議所を四〇歳で卒業したはずの男女も、四四歳くらいまでOBとして出席しています。近ごろの七〇歳は体力、気力、知力とも旺盛で、老人とか高齢者とよばれることにかなり違和感を覚えています。世の現実はすでに新しい区分へ近づいているのです。
もし二四歳未満を少年とすれば、二〇三〇年になっても、子どもの数は現在(一四歳以下)より多くなります。七五歳以上を老年とすれば、増えるのは中年層です。新たな区分に従えば、「少子・高齢化」から「増子・中年化」へ転換するのは、ごく簡単なことです。

生活も消費も変わる
年齢区分を変えると、各年齢層の生活意識も変わり、新たな消費需要が広がります。
三歳ほど繰り上がった幼年期では、少なく産んで大事に育てた「一子豪華化」の延長線上で、小学校低年齢の学び方や遊び方もより〝豪華〟になります。少年後期の一〇歳ほど上昇した時期には、複雑化した産業社会に適応できるように、大学院や専門学校などで、より専門的かつ実践的な職業教育を修める必要が出てきます。他方、遊びの分野では、子どもとヤングの中間の「コヤング」意識の拡大に見合った需要が広がります。
青年期は一五歳ほど繰り上がりますから、三〇代後半から四〇代前半に向けての職業能力開発、容姿維持・維持、独身支援、結婚・出産支援などが求められる一方、子どもとアダルトを折衷した「コダルト」向けの遊びも広がります。一〇歳ほど上昇した中年期では、六五歳を過ぎても、新たな職場や仕事などでなお現役を続けようと、体力・知力・容姿維持、仕事、ボランティア、学びや遊びなどの需要が伸びてきます。
老年期も一〇歳ほど遅れて始まりますから、体力・知力・容姿をさらに維持する需要が広がり、それに対応した生活支援や介護サービスなどが求められるでしょう。

情報需要にも影響
こうした変化は当然、情報分野にも波及します。一子豪華化の影響で、幼・少年向けの大型絵本・雑誌は、中学生くらいにまで広がります。コヤング化、コダルト化の影響で、コミックやフイギュア付録などが、三〇代後半から四〇代前半にまで拡大します。
一方、中年層は後半生の体力・知力・容姿を維持・増強するため、時間やお金を積極的に投資しますから、関連する情報需要が伸びてきます。老年層でも、残された余生を最後まで現役として生き抜いていくための方法や、人生の目標を実現する情報などが強く求められるようになります。
こうした年齢別の需要変化にうまく適応していけば、今後の書店経営においても、プラスの効果がもたらされるでしょう。
(「日販通信」2011年6月号)

消費社会ウオッチング②:「実質・内向き・節約」消費のゆくえ
(現代社会研究所所長・古田隆彦)

東日本大震災は、多数の被災者や多くの町を飲み込んだ上、原子力発電所の破壊という、深刻な事態を引き起こしました。その影響は社会、経済はいうまでもなく、ライフスタイルや消費行動にまで及びはじめています。
すでにこの数年、日本の消費市場は、リーマンショック以降の世界的な大不況に巻き込まれ、重い停滞に陥っていました。雇用不安や所得減少に圧迫されて、消費者もまた購買行動を抑制しています。
大震災は、こうした傾向に追い討ちをかけ、ますます消費を萎縮させ、その中身を変えようとしています。

生活願望をとらえる視点
消費者の消費行動を把握しようと、経済学、社会学、心理学などでは、さまざまな研究が行なわれています。その一つとして、筆者は言語社会学の立場から、私たちの生活願望を、二つの円と三つの軸で構成された「生活円」としてとらえています(図)。
真ん中の内円が「日常生活」、周辺の外円が「非日常生活」で、外円は三本の軸によって、六つの分野に分けられます。
第一軸は周りの世界と言葉、つまりモノとコトの関係で、よいモノを求める「実質」的な願望と、デザインやブランドなどを求める「見映え」的な願望に分かれます。
第二軸は、言葉をどう使うかという、社会と個人の関係で、外部に向かって話す「外向」願望と、自分自身に語りかける「内向」願望が対立します。
第三軸は、言葉の真偽関係であり、言葉で作り上げた目標をめざす「勤勉」願望と、逆に目標を緩めたり、そこから逃げ出す「弛緩」願望に分かれます。

不況下の生活願望
この願望モデルで、不況下の生活願望を考えてみますと、①まず生活円の全体が縮む、②内円の日常願望は縮みにくいので、外円の非日常願望が縮む、③外円が縮むと、三つの軸の両極のどちらかに比重がかかるので、「見映えよりも実質を」「外向よりも内向を」「弛緩よりも勤勉を」といった行動が多くなる、ということができます。
確かに近年の消費行動では、デザイン、カラー、ブランドよりも品質や性能が重視され、外食や旅行よりも内食や室内遊戯が好まれ、目標を緩める浪費や遊興よりも目標をめざす節約や貯蓄などが重視されています。
いいかえれば、衣食住の基本生活を守るために、消費支出をできるだけ節約し、実質的な商品やサービスを求め、自分なりの値打ちや家庭内での消費を重視する方向へと向かってきた、ということです。

大震災で何が変わるか

大震災の影響は、こうしたトレンドをどのように変えるのでしょうか。
まずは緊縮ムードをさらに強めます。震災の影響で、一方では生産力が低下し、他方では消費が萎縮します。とりわけエネルギー供給の不安定さが企業経営の悪化を招き、所得の伸びを抑えますから、生活円全体がいっそう収縮して、「実質、内向き、勤勉」志向へと向かわせます。
書籍や雑誌でいえば、必需的な生活関連情報を中心に、娯楽や遊びよりも学習や教養書へ、ファッションやトレンドよりも健康や生き方関連へ、旅行書や有名店ガイドよりも家庭料理や家事マニュアルなどへ、それぞれ関心が高まるということです。
しかし、緊縮ムードはいつまでも続くものではありません。余震が収まって、原発制御の見通しがたてば二~三月で、遅くとも数カ月で復興事業が軌道に乗るでしょう。
生産力が回復し、関連分野の需要が高まって、需給両面で経済力が回復してくれば、萎縮していた消費者も買い物に向かいます。節約疲れから抜け出そうと、「見映え・外向き・息抜き浪費」といった消費傾向が一時的に復活してくるでしょう。
もっとも、エネルギー不安が増す中で、生活円全体が膨らむまでには至りませんから、一回り小さくなった円周の中で、内円と外円、つまり日常と非日常の折り合いをつけて、両方をより濃くする〝濃縮化〟へと向かわざるをえません。限られたお金を濃やかに使う、という方向です。
書籍・雑誌市場においても、抑え気味の購買行動のもとで、生活願望の変化に即した一冊を求めて、消費者はますます選択眼を強めてきます。これに対応するには、需要の動きに敏感に反応した品揃えとともに、適切な情報提供サービスが求められるでしょう。
(「日販通信」2011年5月号)

消費社会ウオッチング①:消費社会の進展と書店の対応
(現代社会研究所所長・古田隆彦)

お客さんの態度が、このごろ高飛車になったと思いませんか? しつっこいクレーマーも増えたと感じませんか?
その一方で、機能や品質よりもデザインやカラーにこだわる人が増えている。あるいは、携帯電話やパソコンにお金をつぎ込んで、ファッションや本などを買わなくなった、という現象も確実に広がっています。
一見、別々のことのようですが、根っこは深いところで繋がっています。というのは、これらの現象は、いずれも「消費社会」の一側面といえるからです。

消費社会とは何か

消費社会とは何でしょうか? 簡単にいえば「生産力が増えて、生活に必要な商品が大量に供給される社会」です。そうした社会になると、何が起きるのか。それについては、経済学者や社会学者の間で、さまざまな議論が行なわれています。
例えばアメリカの経済心理学者、G・カトーナは、この社会を「大衆消費社会」とよんで、「消費が生産を規定する社会」と考え、また歴史家のD・ブーアスティンは「物を大量に消費できる社会」と定義しています。
イギリスの歴史学者、J・サースクは、それを「生活必需品以外の物の製造と販売が恒常的に行われている社会」と考えて、一七世紀までさかのぼれる、と述べています。またフランスの社会学者、J・ボードリヤールは「物の有用性よりも、物にまつわる記号の消費が中心となった社会」のことだ、と主張しています。
学者の意見にはかなりの差があります。けれども、いろんな説明を比べてみると、共通する部分が多いことに気づきます。おおまかに整理すれば、①産業が発達し、商品の大量供給が可能、②供給過剰が進んで、消費者が生産者をリード、③必需財より選択財へ需要が移行、④文化的、記号的な消費が中心、の四つが浮かんできます。
この意味での消費社会に、現代日本が入ったのは一九八〇年代でした。一九六〇年代に始まったという意見もありますが、四つの条件がすべて揃ったのは八〇年代だった、と思います。
その後、九〇年代に入ると、人口停滞と景気後退の影響で需要が停滞しました。だが、生産量や輸入量はなおも拡大しましたから、供給過剰がいっそう進みました。このため、四つの条件はさらに強まり、消費社会化は現在もなお続いています。

書店への影響
消費社会の進行で、真っ先に影響を受けるのは小売業です。消費者の優位性が高まると、その矛先は製造業に向かう前に、小売業や流通業へ向かうからです。
さまざまな影響が出ますが、もっとも大きいのは、①消費者優位、買い手優位が進む、②必需品よりも選択品の需要が増える、③モノよりもコト、物財よりも記号財や文化財に需要が移る、の三点でしょう。書店もまた小売業の一つである以上、こうした影響を避けることはできません。

書店はいかに対応するか
第一に顧客優位が強まります。消費者優位とは、いいかえれば、お客さんがますますわがままになることです。このため、書店の店頭でも、書籍の探索、商品知識、取り寄せ、接客対応などに、お客さんの注文はますます厳しくなります。今後の書店経営では、従来にもまして、顧客の要望に的確に対応する姿勢を強化しなければなりません。
第二にアナログ情報への需要が高まります。必需財より選択財が拡大すると、情報需要についても、必需的な情報より選択的な情報が拡大します。昨今の情報デジタル化、IT化は、必需的情報への需要を大量に吸収します。だが、それに反比例するように、選択的な情報、とりわけ専門的、愛好的な情報については、アナログ情報への需要が増してきます。これに対応するには、書店経営にも、選択的なアナログ情報の供給力強化が必要になるでしょう。
第三にコト志向、記号志向、文化志向として、情報需要そのものが消費の中心になります。すでに八〇年代の日本では、デザイナーズ・ブランドやキャラクターズ・ブランドなど、品質や機能よりも、見かけ上の値打ちを重んじる風潮が高まっていました。バブル経済の崩壊でこのトレンドは消え去りましたが、それに代わるように、パソコンや携帯電話などのIT情報消費が拡大し、モノ消費への支出を圧迫するようになっています。
だが、情報消費が量的に拡大したとはいえ、その内容が質的に向上したかといえば、必ずしもそうではありません。とすれば、これからの書店には、デジタルでは得られない情報や、モノの売買を超えた文化的サービスなど、より質の高い情報を提供することが求められるでしょう。
消費社会はまだまだ進みます。これらの変化にいかに対応できるのか、書店経営の未来はそこにかかっています。
(「日販通信」2011年4月号)

書店を取り巻く環境変化…2010年から2011年へ
(現代社会研究所所長・古田隆彦)

書店の売り上げは、顧客数と一人当たりの消費額で決まる。ベストセラーが出ようが出まいが、大勢はこの二つに依存している。
顧客数は商圏の人口に比例し、消費額は経済動向の影響を受ける。人口と経済は、二〇一〇年から一一年にかけて、どのように変るのか。

八割強の地域で顧客が減る
商圏人口は、人口減少の影響で、全国各地で減少が続いている。
総務省の推計によると、日本の総人口は、二〇一〇年一一月一日現在、一億二七三九万人で、前年同月に比べ一三万人減少している。〇四年にピークに達し、〇五~〇七年は横ばい状態であったが、〇八年以降は減少が続いている。
これを受けて、都道府県の人口も急減している。最新の統計(住民基本台帳・二〇一〇年三月末)では、前年に比べ、沖縄(〇・六〇%増)、東京(〇・四九%増)、神奈川(〇・四二%増)、千葉(〇・四一%増)、埼玉(〇・三八%増)など九都府県で増加し、逆に秋田(〇・九四%減)、青森(〇・八三%減)、岩手(〇・七五%減)、山形(〇・七〇%減)、島根(〇・六三%減)など三八道府県で減っている。
また市部人口(特別区を含む)は、前年より〇・七五%増加したが、町村部人口は六・七〇%も減少し、過疎化が進んでいる。
以上の傾向は、二〇二〇一一年にも、ほぼ間違いなく継承される。とすれば、一一年の総人口は一億二七〇〇万人へ近づく。また都道府県の人口も、増加するのは沖縄、神奈川、千葉、埼玉、東京、滋賀、愛知など七~八都県だけで、残りの道府県ではさらに減少が続く。
全国の八割を超える地域で、人口減少、つまり顧客減少の影響がますます強まることになる。

低迷が続く日本経済
一方、一人当たりの消費額は、経済動向に大きく左右される。景気はどのように動くのか。
二〇一〇年前半にはリーマンショックの影響も幾分薄れ、消費意欲の回復が見られた。秋以降は円高の進行で株安が進み、先行きが不透明になったものの、国内総生産(GDP)の実質成長率はプラス二~三%に達した、と推定される。
だが、一一年には、内外の需要がやや低下する。外需は、中国の金融引き締めや米国経済の減速などで、輸出の改善が遅れるうえ、円高の影響も加わって、大きな伸びは期待できない。
内需もまた、一〇年後半には猛暑の効果や、エコカーと家電エコポイントの駆け込み需要で多少持ち直した。しかし、この反動として、一一年には自動車や家電の需要が低下する。さらに企業や家庭の情報関連財の在庫調整も重なって、国内需要はやや低下する。このため、GDP成長率は一~二%台に落ちるのではないか。
景気の回復が遅れると、消費動向に影響の大きい失業率も悪化する。一〇年前半から上昇し続けた失業率も、後半にはやや改善した。だが、雇用環境は若年層を中心に依然として厳しく、失業率は一一年もなお五%前後で推移し、〇八年の水準(四・一%)に戻るのは、早くとも二~三年先と思われる。
需要が弱含みで推移するため、消費者物価指数(CPI)も一〇年中は低迷した。一一年になっても、円高の影響によってはさらに低下し、デフレが強まる可能性がある。
景気が回復し、消費が拡大するには、まだまだ時間がかかりそうだ。

抑えられる読書支出
以上のような人口・経済情勢の中で、消費者の購買行動も変化している。
二〇一〇年には、従来の低価格志向や内向き志向がかすかに破れ、身近な商品やサービスでささやかな気晴らしを求める消費が復活した。
食品や飲料では、食べるラー油、ご当地B級グルメ、コンビニのプレミアムロールケーキ、ハイボール、エスプレッソティーなどが伸びた。ファッションでは、国内ブランドや海外ブランドのファストファッションに人気が集まり、各地のアウトレットモールも賑わいを取り戻した。
情報関連商品では、スマートフォン、タブレット型情報端末、地デジ対応大画面薄型テレビ、携帯音楽プレイヤーがヒットし、情報関連サービスでもツイッターが急速に伸びた。
こうした消費動向は、消費者の支出構造にも現れている。総務省の家計調査で、二〇一〇年(〇九年一〇月~一〇年九月)を前年同期と比較してみると、図表2に示したように、一〇年の消費支出(総世帯・年間)は、〇九年の三〇五万円から三〇二万四千円へやや落ちている。
教養娯楽関係費も二%ほど減っており、内訳では関連耐久財が一五%ほど伸び、他の教養娯楽関係費はその分減っている。デジタル機器向けのハード支出が増えたため、アナログ的なソフトへの支出が減った、ということだ。
教養娯楽関係費の内訳をみると、聴視・観覧(三%増)、月謝(二%増)、会費・つきあい費(微増)などは伸びたが、読書(三%減)、旅行(四%減)、スポーツ(一五%減)、その他の教養娯楽(二%減)は減った。ここでもデジタル聴視や月謝に押されて、読書への支出が減っている。
以上のトレンドは、基本的には、一一年にも引き継がれる。景気回復が遅れる以上、消費者の多くは根強い節約意識のもとで、メリハリ志向を重視する。
そこで、クオリティとコストパフォーマンスのバランスを重視して、LED電球、ハイブリッドカー、電気自動車、円高還元商品、ファストファッション、格安航空チケットなどに関心を示すだろう。
情報関連でも、国産化の進むスマートフォンやタブレット型情報端末、それらを利用したツイッターなどがさらに伸びる。そうなると、消費支出全体が抑制される中で、読書向けの支出はいっそう縮小していく可能性が強まる。

書店はどう生き抜くか
顧客数と消費額がともに減っていく以上、小売業全体の売り上げは低下する。とりわけ書店を取り巻く消費環境は苦しく、デジタル情報関連の支出拡大に押されて、書籍・雑誌市場はますます縮小する。
厳しい環境にどう対応すればいいのか。さまざまな戦略が考えられるが、とりあえずは次の三つだろう。
一つは、いうまでもなく、電子出版の拡大に対応して、端末販売や中継サイトなどへ参加すること。大手書店網のデジタル化対応に呼応して、個別書店もまた関連グッズやサービスへ乗り出していくという戦略である。
だが、それだけではない。二つめに考えられるのは、書店網というネットワークを活用して、アナログ化を強化すること。デジタル化が進めば進むほど、良質の情報を求めるユーザーの間では、かえってアナログ情報への需要が高まる。それをつかむには、営業品目を書籍・雑誌に限定せず、物販やサービスなどへ広げていくことも必要ではないか。
すでに書店の店頭では、女性向け雑誌の付録として、人気ブランドの限定品などがヒットしており、書販と物販が一体化しつつある。これを延長すれば、雑誌や書籍と音楽や趣味品などの連携が考えられる。さらには宇宙、環境、自然、哲学、仏像といった特定専門書を中心に、関連グッズを揃えた新業態も考えられる。
三つめは、物販に加えて、さまざまな情報・文化サービスも提供すること。最近では、個性的な新刊本や古書を揃えた書店で、講演会や交歓会を催す「ブックカフェ」や「ブックバー」、さらには継続的なレッスンを行なう「勉強カフェ」もあちこちに広がっている。
また各地に生まれている「雑学大学」とのタイアップも検討すべきだろう。中高年層が自主的に運営する勉強会だが、団塊世代の退職に伴って、今後急増する。この動きを取り組んで、歴史、哲学、宗教、健康法などに関連したセミナーや自主講座などを実施すれば、顧客との接点を深めることができる。
経済・社会環境が激変し、ユーザーの消費行動も急変する時代である。旧来の書店経営モデルでは当然行き詰る。「文化や知識を広く流通させる」という、書店経営の原点に立ち戻って、商品からサービスまで、業種・業態を再検討する時期ではないか
(「日販通信」2011年1月号)

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